【小3で不登校になった私が高卒認定試験に受かるまで】2

最近になって、自身の不登校体験談を様々な場で発信するようになった17歳のおそ弁くん。文章にまとめてみないかと声をかけたところ、こころよく書いてきてくれました。

その2の今回は、ゲームと勉強の関係をリアルに書いてくれました!

その1こちら⇒https://www.shure.or.jp/nagareyama/2021/08/30/

 

*フリースクールに通い出して

フリースクールに入ってからは、しばらくの間ゲームをしまくっていました。

 

最初、フリースクールの説明を受けたときは本当に衝撃を受けました。

今まで親の教育方針によってゲームを買ってもらえなかったせいで、学校の友達が3DSでゲームをしていたときは指を加えて見ているしかなかったので、目の前に大量のゲーム機が積まれていて、それを自由に使って良いと言われたら飛びつかない方がおかしいです。

多分。

というか教育方針って何だよ、ゲームが嫌いなだけじゃないか。

 

当時の流山シューレの様子 

そうして、スーファミとか64とかPS2とかの古いゲームでもしばらくエンジョイしてたわけです。

家に帰ってからも、家のPCMinecraftを遊びまくっていましたし、家にいる時間のうち、かなりの時間をMinecraftに使っていました。

休日なんて朝起きてMinecraftやって、昼飯食べて再開して、夕飯食べて寝るみたいな。

一緒にやってくれる友達もいなければ知識もなかったので、一人で延々と遊んでました。

 

ただ遊ぶだけで学びがなかった訳ではなく、Modを導入して遊ぶと多少なりとも理科の知識が付き、日本語に対応していないModで遊べば、多少の英語の知識が付きました。

最も効率的にアイテムを運ぶには、どんなふうにパイプを引けばいいかと頭を使ったりね。なんて教育的なゲームなんだ!

 

 

*家庭内大戦勃発!

しかし、内容がいかに教育的であろうと、親からしたら所詮はゲーム。思えばこの時点で、ゲームに対する不信感はかなり強かったのかもしれません。

そもそも人間は、新しいものに対しては少なからず不信感を抱くって言うし。

 

そんな状態で、平・休日問わずずっと画面に向かっていたら心配になるのは当然なわけで。

そうなったら、ゲームをしたい子どもVSゲーム以外のことをさせたい親の、家庭内大戦が勃発します。

 

今まで(親から見れば)健全だった少年が、今では画面からは全く動かない。

今まで、自分の言うことを聞いてたのに、いつの間にか言うことを聞かずに画面に張り付いてる。

それがゲームのせいだと思ったら、ゲームに対する信用なんか無くなって不信感が湧くのは当然でしょうね。

 

マインクラフト 今では授業にとりえれている学校もありますね。

不信感を高めたもう一つの要因として、フリースクールでもゲームをして帰ってきたという点もあると思います。

今までの、親と一緒に様々な博物館を回っていた頃は「自分は子どもに勉強をさせてる」という実感が多少はあったのに、フリースクールに通わせてからはゲームの話くらいしかしない。

自分はゲームをするために、どれだけMinecraftが教育的か説明しまくるが、親はなんとしてもゲームを止めさせたいので焼け石に水。

それどころか「どれだけゲームが悪いか」という主張を、本・新聞・ネットの記事まで持ってきて正面から否定してくれやがります。

チクショウ.

ゲーム中毒なんて何回言われたかわかりませんし、世界保健機関がゲーム中毒を病気と認定なんて言われたら、子ども側に反論の余地はありません。

新聞にWHOまで後ろ盾にあるなんて多勢に無勢、勝てる訳がないじゃないか。

今となっては反論の余地がありますが当時では無理です。

残念無念。大人って狡い。ここは親が実効支配する独裁国家か何かかっつーの。

親的には本当に心配だったんでしょうし、新聞なんかでそこまで不安を煽られちゃとりあえず元凶を取り除きたくなるのは、分からなくもないですけどね…。

そうして必死の説得(?)を受けてゲームを控えた頃、勉強をしないかということを言われたんです。

 

 

*大戦後の小学生時代

ゲームばかりしてないで勉強しろと。

まぁよくある話ですね。

よほど勉強をさせたかったのか、セールスマンの説明の如く上手いこと説得されてしまった訳です。

そんなこんなで、口車に乗せられた私は勉強を始める事にしました。

正直、その頃の動機なんて親を黙らせる為にしていたと言っても過言ではないです。

だって言う通りにしておけば、文句は言われませんからねぇ。

 

そんな感じに、雑念まみれで始めても学ぶことは楽しかったです。

悩んだ末に難しい計算式を解いたとかは嬉しかったですし。

タスクとしての勉強が終わったあとのゲームは、ゲームだけをして過ごした頃に比べて三倍くらいは楽しかったです。

そんな感じで小4~小6の夏頃まで、そこそこゲームをしつつ勉強をして過ごしていました。

当時の流山シューレの様子

 

*中学受験!

そして小6の夏にいきなり、中学受験をしないかという話が舞い込んできました。

セールスマンの如く、中学校の魅力を語った親の口車に乗せられ(二回目)受験勉強を始めました。

それにしても問題のまぁー難しいこと

今までしてきた勉強とは全く違い、想像力や発想力を求められ、とても新鮮と思いましたけど、同時に中学受験をするために学校で生真面目にエリートコースを歩んできた人たちはこんなのをスラスラと解いているのかと思いました。

受験の結果はまぁ散々でしたけどね。

 

今まで、ゲームするためにちょっとづつ勉強して半年の付け焼き刃を作った奴と、受験合格の為に塾は当然として学校生活の殆どを勉強に捧げてきた人が同じ土俵に立てる訳が無いです

それからシューレ中も受けました。

まぁ落ちたんですけど。

仕方ないとは思いつつ当時はかなり凹んだ記憶があります。

当時の流山シューレの様子

 

*中学生になった私

そんなこんなで、地元の中学へ進学することになりました。

とは言っても、ほとんど所属しているだけでフリースクールに通ってました。

 

中学生年齢になってからも細々と勉強を続けつつ、中間・期末テストの時だけ学校に行きってテストだけ受けて帰るという過ごし方をしていました。

おそらく中学受験の時に多少真面目に勉強していたので、その時のやる気が残ってたんでしょう。

 

テストの際は、学校側の粋な計らいで別室で受けさせてもらいました。

ありがてぇっ部屋がキンキンに冷えてやがるっ

なんて喜んでたのは最初だけです。

テストには当然試験監督が必要なので、必然的に先生1人と自分1人のマンツーマン試験になります。

問題が分からずに手が止まっている時の視線が本当に痛ぇの…。

音楽のテストで、問題がほぼ分からずにほぼ真っ白なテスト用紙をチェックされてる時は、無限に思える数秒感とはこれの事かッ!と思いました。

 

まぁ得意科目とかは80点代取れてたから悪くないのかな?

それなりに頑張った科目でも、学期末の通知表では5点中3点で試験の結果のわりに低いな〜と思ったのですが、どうやら授業態度などの通学してる人にしか付けられない評価がるらしく、テストの結果だけでは評価は3止まりでした。

まぁテスト結果だけで評価5まで上がったら学校行く意味ほぼなくなくなるし仕方ないのかな?

そんな評価を付けられたので、モチベーションも無くなって2年生の頃から次第に試験に行く事も無くなりました。

当時の流山シューレの様子

 

*進路どうする!?

そうして生活が勉強からゲームにシフトしてきた頃、高校の進路を決める時期がやってきました。

今まで5年くらいフリースクールの自由な環境で過ごしてきたので、時間に縛られる生活がどうしても嫌だったので、どうにかして自由な時間に勉強出来るところに行きたかったんです。

 

最初に見つけたのは通信制の高校です。

これならフリースクールに通いつつ勉強できるなと思ったが、両方は学費が高すぎると言う事でボツ。

ということで次はフリースクールの高校コースへ。

これならフリースクール内だから良いだろと思ったが、上の学年が結構な間講義に拘束されてたのでそれも嫌だなという事でボツへ。

 

最終的に行き着いたのが高卒認定試験でした。

夏と冬の試験日以外全て自由時間という、1番まったりとやっていけると言われたので、すぐに飛びつきましたね。

我ながらな単純極まりない動機ですね。チョロいな。

 

*高認に決めたおそ弁くん。その後の彼の生活はどんなものだったのでしょう?その3に続きます。

※続きはしばらくお待ちください!

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