これは1988年、
朝日新聞夕刊一面のトップ記事なんだ。
稲村さん、もう亡くなられた方だけど、
「登校拒否症」「無気力症」と書いてあるように、
学校に行けない状態を病気と診ていた。
この新聞記事でいろいろ大変なことがおこった。
今まで見守っていた母親に、
父親がこの新聞記事をつきつけ
「すぐ精神科へつれて行け。」と怒鳴ったり、
親戚が来て、 学校に行っていない子を、
病院へ連れていこうとした。
学校の先生もこの記事を家庭に送りつけ、
その子が学校に行きたくないだけなのに、
病院へ行くように勧めた。
人々は一時的にパニックに陥った。
登校拒否・不登校は病気ではない。
それなのに、
病気と診る人々が多かった時代があって、
こんなことが起こるのも
「子どもというものは学校は行くもんだ」と
信じて疑わないので、
行っていない子を理解できず、
「心の病」「精神に異常をきたした」
と思いがちだった。
この時は、「登校拒否を考える会」や、
「東京シューレ」など不登校を異常視せず、
なおすのではなくて、受け止める方向で
考えてきた市民団体や居場所が力を合わせて、
この動揺をくい止めるべく緊急集会を持ったんだ。
300人の会場に800人もの人が
集まって凄い熱気だった。
新聞社にも抗議した。
この集会の後、
次第に病気という見方が減っていった。
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