フリースクール東京シューレ




 

今、学校に行っていない子に、学校へ行かなくなったわけをきいてみました。

 ・いじめ
 ・先生がぶってきて(暴力を振るって)、こわい
 ・友達にシカトされた
 ・部活でしごかれるのがなっとくできない
 ・息苦しいんだよ、学校の雰囲気
 ・髪型のことや制服のこと頭ごなしにすごくうるさくいわれて
 ・宿題がすごい出て、終わってないから行けない
 ・給食の事。全部残さず食べなきゃいけないのが、つらい。
 ・何だかわからないけど、学校行くと心が死んじゃう気がする。
 ・ぼくは、ベルトコンベヤーにのせられて、
   しらない所へつれていかれそうな気が…
 ・ぼくは、友達も先生も好きだよ。でも何だか疲れてタンマしたい。
 ・ テストで、点数おちたら、ライバルと順位がすごくはなれてバカにされた。
 ・僕は、人がいっぱいいる所はすきじゃない。
 ・わからないけど学校いったら気持ちわるくなる。
 ・もう100人いれば100通り。いろいろ。

 

ぼくは、理由がない。
「いじめ」がテレビでとりあげられるようになってから、
不登校しているが
「ぼくは理由はない、わからない」
といっている子たちがきつくなったそうです。

 

 

いじめがあれば学校へ行けないのもわかるけれど、
何も、理由のない人は、
なまけじゃないの、ずる休みじゃないの、
といわれるそうです。
学校に、いくことが合う子も、合わない子もいます。
だから、不登校はその子の自己表現であり、
生き方であり、個性です。
それぞれの事情でしょう。

原因はあまり重要ではありません。
ちょうど、美術館に行った子と行かない子といる時、
行かない原因は、ときいても、
行きたくなかったから、というでしょう。
「なぜ行きたくないの」とつっこまれたら、
「どうしてそこまで聞かれなくちゃいけないの」
と言い返したくもなります。

登校するのが当り前とあまりにも思う人が多い社会なので、
不登校すると、ナゼ、ナゼときかれるのです。
原因をセンサクする大人の人は、たいてい、
子どもを学校に行かせたい人、
学校にこだわっている人が多いのです。
行きたくないから行かない、
行こうとしても行けないから行ってない。
それでいいのです。
その子にとって、学校行かないで休むことを心や体が求めたのです。
今の学校のあり方が子どもにとって、
楽しくないし居場所でもないし、
個性をみとめてやっていくところでもないし、
ということが、からんでいるでしょう。

不登校は、なまけだ、逃げだ、ワガママだ、
心の病いにかかったのだ、
と思っている人も多いようですが、
1992年、文部省は、「誰にでもおこる登校拒否」といい出し、
少し、とらえ方もかわってきました。

また、東京シューレの子自身が1989年、
自分達で当事者へ調査をし、
それまで、文部省で出していた、
「怠け」説をくつがえす動きをしました。
この調査は、2000冊発行し、
飛ぶように売れ、新聞報道にもなりました。現在、
「学校に行かない僕から学校に行かない君へ」 (教育史料出版会)
巻末に収録されています。

 

 

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