たしかに、その気持ち、わかります。
忘れようとしても、つらい思いをした事実というのは、消せないでしょう。
人間は経験したことを土台に頭や体が認識していくので、
「学校」という舞台でいじめを受け、びくびくし、
恐怖感を味わったなら、違う学校(高校)へ行っても、
「ここでもまたいじめを受けるかもしれない」
という感覚がわき上がってくるのは、当然なのです。
この感覚が薄らぐのは、3年とか、10年とか、
人によって、また体験したことによって期間は異なりますが、
相当の年数かかることでしょう。
では、その間中、こんな地獄の中にいなくてはならないのか、
と思われるかもしれませんが、実例を見るとそうではないのです。
いじめを受けて不登校しても、とても幸せになっている子たちがいて、
「今では、いじめっ子に心より感謝している。
なぜなら、いじめられたおかげで、
学校に行く以外のいろいろな道があることがわかったから」
とも言っています。
つまり、学校へ行く道だけが幸せになる道であり、
行かないことはもうダメだと思うと、
いじめた子へはやはり悩みが残りつづけるでしょうが、
学校に行かない道があり、
それが自分にあっていて実に楽しい、という場合は、
この苦しみが変わってきます。
いじめた子を許せ、とは言わないけれど、
今、実際、学校という場面へこわくて行けないのだから、
「そんな場へ行くものか」と行かない自分を肯定され、
受けとめていくことをもっと考えていかれたら、ちがってくると思います。 |