学校に行かなくてはならない―ということはない。
また、フリースクールや適応指導教室に行かなくてはならない、
ということもないのです。
つまり基本的に、家で育っていっていいのです。
学校を基盤にして学び育っていく人があるように、
家庭を基盤にして学び育っていく人もいるのです。
人の成長に、学校しかない、
なんていうのがおかしいのです。
学校も、教育機関の一つとして、国が税金でつくりました。
でも、学校だけしかありませんよ。
他は認めませんよ、という態度は、まちがっています。
学校に行かないということは、
うちで主として、過ごしているということです。
親が、それを認めているということは、
どういうことかということ、
親が、自分の子の教育を学校にゆだねる(委託する)のでなく、
「自分の子を親が責任もって育てていきます」ということなのです。
でも、日本では、学歴社会であり、
学校信仰も強い国なので、学校に行かず、
家にいることを、とても罪悪視したり、問題行動と思っています。
だからこそ、不登校の子は苦しくなるのです。
アメリカやイギリスのように、「家庭では育っていくこと」が、
もっとふつうのこととして認められる必要があります。
学校へ行くこと、家庭でやっていくことは、
本人が選べたらいいと思うのです。
もちろん、家でやっていきたいというのは、
全く外へ出ないで、家の中にずっといる、ということではありません。
学校に頼らないだけで、家庭が責任持っているので、
塾、スポーツ、趣味などの会、ボランティア、習いごと、
なんでもやっていいし、どこでも行っていいのです。
もちろん、家の外に出たくない、
出るのがつらい人は、外へ無理に出ない方がいいのです。 |